ドゥベサリ県 (Raionul Dubăsari)
1991年に独立宣言を行った沿ドニエストル共和国が県の半分近くを占領しており、ドゥベサリ県は事実上南北に分断されている. また、県と同名の都市ドゥベサリ(ロシア語名ドゥボッサールィ)は沿ドニエストル共和国が実効支配している. なおドニエストル川と実効支配の境界は一致しておらず、かなり複雑な形になっている.
* ドゥボッサールィ地区:沿ドニエストル共和国の行政区画. ドゥベサリなどを管轄しており、ドゥベサリ県とは隣同士である. なお、ドゥボッサールィはロシア語名であり、実際にはモルドバ共和国の「ドゥベサリ県」と沿ドニエストル共和国の「ドゥボッサールィ地区」は言語が違うだけで綴りは同じである.
地図 - ドゥベサリ県 (Raionul Dubăsari)
地図
国 - モルドバ
モルドバの国旗 |
モルドバの国土は、歴史的にモルダヴィアと呼ばれた、ウクライナ南西部やルーマニア北東部も含む地域の一部にある. 1349年に建国されたボグダニア公国が後にモルダヴィア公国へ発展したものの、1512年にオスマン帝国の属国となった. 北から伸張したロシア帝国が度重なる露土戦争でオスマン帝国を圧迫し、ヤシ条約でトランスニストリア南部を、1812年のブカレスト条約ではモルドバの国土の大半に当たるベッサラビアを併合した. 1856年、ベッサラビア南部はモルダヴィアに返還され、3年後にモルダヴィアはワラキアと統合してルーマニア公国となったが、1878年に全土がロシア帝国に支配されるようになった. 1917年のロシア革命では、ベッサラビアは一時モルダヴィア民主共和国と呼ばれるロシア共和国の自治州となった. 1918年2月、モルダヴィア民主共和国は独立を宣言し、同年末、議会の議決を経てルーマニア王国に統合された. この決定にはソビエトロシアも異を唱え、1924年にはウクライナ・ソビエト社会主義共和国内で、ベッサラビア東部の一端に設けられたモルドバ人居住地にモルダヴィア自治共和国を建国した.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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MDL | モルドバ・レウ (Moldovan leu) | L | 2 |